こんなに貧困をなくしたい、飢餓をなくしたい、と思いつづけてきたのに。
村での生活が苦痛で仕方がなかった。
洗濯に水浴びにかめの水を使うのですが、
泥で濁った茶色の水しかない。
私はどうしてもその水で髪を洗うことができなかった。
せいぜい顔まで…
村ごはんも、
11月のときとはまったく違いました。
雨季と乾季との違いなのかしら。
行った村の違いなのかしら。
未だに分かっていません。
固く炊きしめたごはんに、卵やき。
固く炊きしめたごはんに、スープ。
カエルも食べました。
田んぼで採れる小さいカニも食べました。
私のコンディションが、
ジャージャー菌に侵されていたというのもあるんでしょうけど。
本当にきつかった。
衰弱しきった感じで、
プノンペンに帰ってきた週末はぐったり横たわっていました。
寄生虫におびえ、自炊をストップしました。
野菜を洗う水から買い求めねばならず、
水を買うためには私の借りた部屋からだとバイクタクシーを
利用しなければお店には行けないのです。もちろん、野菜しかり。
しかし、ローカル食堂には入れず、
外国人向けのメニューが置いてあるところとかしか
利用できなかった。そんなお店、一食3ドルはするんです。
もちろんカンボジア人のお客さんはゼロ。
(トゥクトゥクやモトドライバーが外で待っているくらい)
そこで食事しながら、何だろうこのギャップ、と思うのです。
村ではあんなに一生懸命生きることを模索している。
一方私はただ何もせずにここで食事を摂っている。
違いは何?
日本に生まれたということだけですよ。
だからといって、どうしていいか分からず
行動を変えるとかもできず
ジャージャー菌による微熱に浮かされた中、
夢なのか現実なのかよく分からない
そんな生活を送っていました。
村とプノンペン(特にリバーサイド)を行き来する毎日。
なんかすごく衝撃的だったのです。
私にとってショックだったのです。
もともと「世界には食べられない人がいる、私は食べ物が
有り余っていて食べ残しをしてしまうくらいなのに、なぜ?」という
思いに端を発して、私は進路を選択してこの年まできました。
なのに、だからなおさら、何とかしたいと思っていても
自分をまず防衛してしまうっていう自分の性(さが)に気づいて、
失望したのです。
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