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2011を迎えて
 ゴールの一歩手前でずいぶん長いこと更新をとめてしまったため
ご心配かけたかもしれませんが、
ちゃんと大学院を卒業するというゴールは果たしました。
ほんとうにおかげさま。
応援してくださったみなさん、どうもありがとうございます。
気がつけば2011年になっていて、
私はいま福岡に落ち着いています。

今年は自分の進みたい道へ“えいっ”と一歩踏み出します。
今までしてきたことと自分のやりたいことの整合性を
頭であれこれ考えようとしちゃったけど、
一度しかない人生なので今目の前にひらけている道を
進もうと心に決めました。
いずれは、これまでのいろんなことがつながってくるのが
見えてくると信じています。
日々私は変わっていくとしても、
その主体が私であることは変わらないのですから。ね。

それは春頃から始動するよ。楽しみです。

今はなんだかオランダやアメリカ、カンボジアからは距離を置き、
もうちょっと自分の気持ちをうかがってみたいのです。
そんなわけでひっそりと息をひそめています。でも、ネットとは
これからも上手につきあってたくさんの方々とリンクしていきたいので、
近いうちに新しい方法を考えようと思います。






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泣き考
 

友達とお別れしたら,
私もここを去るのだという実感
が急に沸いてきて、
麺を茹でている間に
私の日常の景色のあれこれをカメラに収めてみる。


お別れは昔から涙が出て困る。
「お別れ」という形式に泣けるのだと思う。
3歳児の私、祖父母と会っての帰りがけのたび、
祖母とふたりでわんわん泣いて別れていたらしい。
小2の修了式の日、担任の先生が学校を離れることになり、
ひとりずつ握手してくれたんだけど私だけ大泣き。
おともだちは、私がなぜ泣いているのか全く解してくれなかったから
トイレで泣いた。
その後いろいろな学校の卒業式は言うまでもなく…
これは祖母譲りだと私はひそかに思っている。

お別れの涙は、悲しくて泣くのとはちょっと違うんだ。
なんかこみあげてくる感じ。
もう戻らないものに対する感謝みたいなものがふつふつ沸き起こる。

でも、最大の理由は、私が出会う先々の人々に恵まれているということ。
(これは私の自慢でもあり!)
とくに友達。恵まれすぎです。
本当にありがとう。


また会おうね!
Tot ziens!
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アウトプットぬりえ

私には、インプットとアウトプットの法則があって、
そのバランスが取れていないと、
なんだかいらいらしたり、むしゃむしゃしたり、じりじりしたり…
調子が悪くなってしまう。(気がする。)

たいていはインプット過剰になる。
高校までは音楽!オーボエを吹くことが私の大事な
アウトプットの要素だったように思う。

今は論文を書いている過程だから、
アウトプットちゃんとできてるんじゃないの?って思うけれど、
実際は毎日インプットがアウトプットの10倍くらい。
自分の知識が足りないから。言いたいことをうまく書けないから。
その両方で、すごくもどかしい。

そんなアウトプット不足気味の私が最近始めたのが「塗り絵」
中学校の担任の先生が「塗り絵はストレス解消になるんだぞ」と
言っていたのをなぜかよく覚えていて、
私ストレス溜まってるー!と夜中にふと色鉛筆をとって
絵を描き始めたのがそもそものきっかけ。そうこうしているうちに
前に日本で大人の塗り絵がはやっていたのを思い出してちょっと調べてみると、
「えー!色鉛筆でこんなに表現できるの?」っていう新鮮な驚きがあった。
そんな絵が自在に描けちゃうことに憧れを抱き、今に至ります。
(家族に本を送ってもらうようお願いしちゃったのでした)


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修論のプロポザル
妹からカツを入れてもらった。

プロポ猿
プロポ酉
プロポ戌
プロポ亥
気合いじゃ

おかげさまでプロポザルは無事に終わった!
あとはこの発表をこなすのみ。
‘15分間、私は恥をかきます’と思えばいいのだそう。


私の研究についてここでちょっと記すと、

テーマは、
Households' Decision Making to Participate in Marketing Channels for Organic Rice in Cambodia

つまり、カンボジアにおいて、農家の「有機農業でお米を作ってそれを流通にのせる」という行動は、どんな要素に影響を受けているのだろうか?ということを研究する。

これまでの研究は、農家が流通を行うってのは収量が多いこと、規模が大きなことに付随してくるものだという見方が一般的だった。小さな農家は、なかなか流通を行うまでに至らない。そこで、小規模農家においては、共同で出荷したりするコレクティブアクション(小規模農家が集まって共同で流通などを行うこと)の強みも認識されている。

途上国では、化学肥料や農薬はお金を出して買わなければならないもので、その金銭的コストは相対的に高い。そもそも収入が現金(in cash)という形でくるものとは限らず、それ以外の方法(in kind)で受け取る場合も多いのです。インプットをお金を出して買うというオプションがそもそもなく、有機農業をしている農民もたくさんいます。緑の革命以前は…

緑の革命はしくみのパラダイムシフトだった。
化学肥料や農薬に頼らなければやっていけない
しくみを途上国に植え付けてしまった。
収量をあげるには、化学肥料や農薬を増やさなければならず、
過保護に過保護にという農法。
多くの小規模な農家は、肥料や農薬を増やした分の対価が払えず、
債務の悪循環に陥ってしまった。

脱線しましたが、
私が注目するのは、CEDACというNGOが活動する村のお米農家さん。CEDACというNGOは、小規模な農村地域の農家が生産した有機米を売るための販路を現在拡大しています。国内をはじめ国外へも。このしくみに参加することは、農家にとっていいところづくしな気がします。有機米としてのプレミアがつく(=ふつうの仲買人に売るよりも高く売れる)、肥料や農薬を外から買ってこなくてよい、生態系にもやさしい、農家自身の健康も改善する、etc。

そういうオプションがあれば、参加する?

現実はそうすんなりと行かない訳で、
私はそれを妨げているものは何なのか?
たくさん収量をあげた農家から参加しているのか?
それとも何かべつの要素が絡んでいるのか?

このようないくつかのはてなを道しるべに、
Sustainable Livelihood Frameworkという枠組みを使って、
お米農家をホリスティックに捉えて研究しよう、
ということをいたします。


Sustainable Livelihood Frameworkについてはまたこんど。

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Implementer のジレンマ
地に足をつけて生きたいと思う。
それが今の願望。

最近は修論に取り組み始めて、theoretical frameworkにどっぷり漬かっている。Sustainable Livelihoods Framework [日本語:持続的な暮らしのための枠組み??]という概念を、私の修論に組み込もうとして、いろいろと読んでいる。


Belbin's team roleというテストがある。
これは、自分はチームで働く時にどういう役割をするのが向いているか、
というのを測るための心理テストみたいなもの。
このテストによると、
私は、ImplementerPlantの2つが突出しているらしい。
Plant は、とてもクリエイティブであり、
独創的なアイデアをどこからともなく持ってくる。
プロジェクトの最初で重宝される人。
Implementer は、やることが見えたら効率よく計画して実践する。
プロジェクトの真ん中で活躍できる。

これが、チームの中で上手に組み込まれていればうまくいく。
Belbin's role は全部で9つあり、いろいろな役割がある。
チームを引っ張れる人とか、締め切りを守るのが得意な人とか、
完璧主義のような情熱をもって仕上げられる人とか。
ただ、Plant とImplementer を備え持つ(というかそれしかない)私が
ひとりでThesis というプロジェクトに取り組むことになると、
終わらせてくれる人がいない、ということになる。

Plant である私は、いつまでもいつまでも
独創的かすら分からないアイデアの中でふわふわしている。
やることが見えないので、
Implementer の私はまだ役割を発揮できていない。

だからしびれをきらしたImplementer の私が、
早く地に足をつけたいとことさら思っているのかもしれない。


ずっと長いこと
Sociology(社会学)は向いてるんじゃないか、って思ってたけれども、
実際にこっちに来て授業を取って、あまりに概念上の話ばかりでダウンしてしまった。

思い起こしてみれば、環境経済学(とくに見えないものの取引きの話)や
化学や遺伝子学は苦手だった。なぜかというと、目に見えないから。

想像力は人一倍あると思うし、
スピリチュアルな意味での見えないものにはすごく惹かれるんだけど、
私は、学問として扱う目に見えないものはどうも苦手みたいだ。
地に足をつけたい、って思うのです。


早くカンボジアに飛んでいきたいです。
もう少し。
頑張ろう。

今度は修論のテーマについて書きたいと思います。
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